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東京地方裁判所 昭和28年(特わ)618号 判決

主文

一、被告人川井敏正、同鈴木満寿穂、同三谷宏、同岩瀬洋三、同岡野啓を各懲役拾月に、

被告人木村雄一、同堀越久弥、同中山一郎、同川口茂蔵、同山口貢を各懲役六月に、

被告人伊田公を懲役四月に、

被告人早川五郎、同安田浩、同大畑正年、同前田信義を各懲役弐月に処する。

二、本裁判確定の日から、被告人早川五郎、同安田浩、同大畑正年、同前田信義に対してはいずれも壱年間、其の余の全被告人に対してはいずれも参年間右刑の執行を猶予する。

三、訴訟費用中《中略》の連帯負担とする。

四、公訴事実中、被告人安田浩に対する公務執行妨害傷害の点につき、同被告人は無罪。

理由

(証 拠)《省略》

(弁護人等の主張に対する判断)

第一、被告人等及び弁護人等の主張。

(一)判示第一の二の各事実について、

(イ)昭和二十五年七月三日東京都条例第四十四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例(以下単に東京都条例と略称)は憲法第二十一条及び第二十八条に違反し無効である。

(ロ)東京都条例の規定している事項は、国家の事務に属し、条例によっては規定し得ない事項であるから、憲法第九十四条に違反し無効である。

(ハ)仮に本件集団行進において蛇行進、駈足行進が行われ、東京都条例に違反する行為があったとしても、それは労働組合の行為であって正当なものであるから、労働組合法第一条第二項により免責さるべきである。

(二)判示第一の三の各事実について、仮に被告人等に暴行の事実があったとしても、それは労働者の基本的権利の実現としてデモ行進を行っていることに対し不正な干渉挑発をなし右基本的権利を侵害して来たことに抵抗してなされたものであるから、(イ)正当防衛行為である。(ロ)然らずとしてもこの場合反対行為に出ることの期待可能性がない。

(三)判示第二の事実について、当時株式会社日本製鋼所赤羽作業所と被告人等の属する日本製鋼所赤羽作業所労働組合(判示にいう第一組合)との間には労働協約においてユニオン・ショップ協定が結ばれていたから、判示第二組合の組合員とされている者もすべて第一組合の組合員であったというべきである。而して判示の同盟罷業は組合において正規の手続を履践してこれを行うことに決定したものであるから、組合員たるものは右組合の決定に従い組合の統制に服すべき義務がある。本件当日判示北仮門前に集った従業員は前記の理由ですべて組合(第一組合)員であったものであり、一方北仮門前に張られたピケは組合員を統制に服さすべく説得して同盟罷業を実効あらしめようとして行われたものであって、その説得の機会をうるためピケ隊が仮門前に立ち塞った行為は、ピケッティングの正当な限界内にある労働組合の正当な行為である。而して組合員は組合の統制に服すべき義務を有しているのであって、右ピケ隊を排除して入門する権利はないのである。然るに、岡地清美等一部組合内部の異分子は、入門を希望しない組合員を煽動して隊列を組ませ自らもピケ隊に衝突して来たのであるから、岡地等の行為は組合の統制を破った行為として非難に値し、これに反撃した組合員の行為は違法性を欠くものである。

第二、裁判所の判断。

弁護人等主張の第一の(一)の(イ)点について。

一、集団行進又は集団示威運動といえども、公共の秩序を保持し又は公共の福祉が著しく侵されることを防止するため、特定の場所又は方法につき、合理的かつ明確な基準の下に、予じめ許可を受けしめ又は届出をなさしめて、このような場合にはこれを禁止することができる旨の規定並びにこれらの行動で公共の安全に対し明らかな差迫った危険を及ぼすことが予見されるときはこれを許可せず又は禁止することができる旨の規定を条例に設けても、これをもって直ちに憲法の保障する国民の自由を不当に制限すると解することができないことは、つとに最高裁判所大法廷判決(昭和二十六年(あ)三一八八号同二十九年十一月二十四日大法廷判決)の判示したところである。そして本件東京都条例の内容を検討するに、集団行進については右判決に示す制約を具えているものと認め得るが、集団示威運動については場所の点においても方法の点においても限定されているとは認め難く、結局右判決に示す制約はこれを欠くものと認めるのが相当である。而して右条例では集団行進と集団示威運動とは別個独立の概念として規定され、その条例はこれに従って可分性を有するから集団示威運動に関して規定されている部分が憲法に違反するに止まり、集団行進に関する部分は合憲であるといわねばならない。

而して計画された具体的集団行動がたとい示威を目的とするものであっても、それが道路その他公共の場所において集団行進の形態で行われる限り、それは集団行進としての面で右条例に従い要許可の対象となるものである。けだし、集団示威運動に関する前記条例が憲法に違反するのは、集団示威運動そのものに対して規制がなじまないというのではなく、前記説示の制約に欠くるところであるがために過ぎない。従ってその運動が他の観点よりなされる規制についてその要件を具えているときにはその見地より規制に服すべきことは当然のことであるからである。

而して本件においては、問題の行動は前記認定のとおり道路上を集団行進の形態で行うことが企劃され且つこれに従い実施されたものであるから、これに対して右条例中集団行進に関する規定の適用であることは当然であり、且つその許可申請は集団示威行進運動許可申請の形式でなされて居り、これに対する許可並びにこれに附せられた条件が集団行進についてなされたものであることも認め得る。故に弁護人等の右主張は採用できない。

二、なお、当裁判所が右結論に当り(1)右条例にいう「許可」及び「不許可」処分の性質並びに、(2)集団行進等所定の行動(以下単に行動と略称)の主催者が同条例第二条に基き許可の申請をしているのに公安委員会において行動実施の日時に至っても積極的に許否を決定しない場合の法律関係等についてとった見解は次のとおりである。

(1)東京都条例は、第一条において「道路その他公共の場所で集会若しくは集団行進を行おうとするとき、又は場所のいかんを問わず集団示威運動を行おうとするときは、東京都公安委員会(以下「公安委員会」という)の許可を受けなければならない」と定め、第三条第四項において「……第一項の規定により不許可の処分をしたとき……」と定めているが、ここにいう「許可」又は「不許可」の処分の性質は果して如何なるものであろうか。

一般に「許可」というときは、全面的禁止を前提とし、ある特定の場合に限ってその禁止を解除する意義に用いられるのが通例であるが、右条例においては第三条第一項本文で公安委員会に対し許可申請については原則としてこれを許可すべきことを義務ずけると同時に、極めて限定された場合に限り不許可とすることができるものとしていること等に鑑みると、同条例にいわゆる「許可」とは、通例の場合とその趣旨を異にし、許可申請に対し公安委員会が公の権威をもってその適法性を確認するいわゆる確認行為であると解するのが相当であり、又同条例にいわゆる「不許可」とは、許可申請に対し公共の安全を維持するため集団行進等所定の行動につきこれが禁止を命ずる行為であると解するのが相当である。

(2)(イ)集団行進等所定の行動の主催者が公安委員会に対して条例第二条に基き許可申請をした場合、主催者は申請人として公安委員会に対しその申請について許否いずれかを行動実施前相当の時限内に裁決すべきことを求め得る権利を有し、公安委員会は申請人に対しこれに対応する義務を負うものと解するのが相当である。けだし、これらの行動はいわゆる基本的人権に基くものであって、公共の福祉に反しない限り、国政の上で最大の尊重が払わるべきものであることは憲法の保障するところである。而して許可申請はその行動実施の前提として求めているのであるから、これに対する裁決は単に公安委員会に対してその職権の発動を求めるというが如き程度のものではなく権利として認められたものであり、且つ許否いずれであろうとも裁決が行動に対して有する影響並びにこれら行動の実施日時が行動に対して占める生命線ともいうべき地位、機能等に鑑みると、裁決が行動実施前相当の時限内になされることをも併せ求め得るものとするのが、憲法の趣旨に適合するからである。

(ロ)裁決をなすべき時限につき、許可については、条例第三条第二項で、告知時限に関してではあるが、「公安委員会は、前項の許可をしたときは、申請書の一通にその旨を記入し、特別の事由のない限り集会、集団行進又は集団示威運動を行う日時の二十四時間前までに、主催者又は連絡責任者に交付しなければならない」と定めて居り、これは当然許可の裁決自体が行動実施時刻の二十四時間に為されるべき旨をも併せ定めているものと解される。一方不許可については明文としては何等定めがないようにも見受けられるが、条例第三条第一項本文は許否の基準について、「公安委員会は、前項の規定による申請があったときは、集会、集団行進又は集団示威運動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外は、これを許可しなければならない」と規定して居り、これによると、裁決に当っては案件につき所定の不許可事由が存在するかの点についてまず判断がなされるべきものであって、この建前上裁決の順序としては不許可の方が許可よりも先行する関係にあることを窺知できるから、条例第三条第二項の勿論解釈として不許可についても許可と同様行動開始の時刻の二十四時間前までに裁決すべきことが定められているものと解するのが相当である。

而してこの時限に関する規定は、行動実施の日時が前記二の(2)の(イ)で説明したように申請人に対して生命線ともいうべき重要性を有している事実等に鑑み、公安委員会と申請人とが夫々判決の時期について有する時間的利害を調節した規定である。然らば、この規定は単なる努力目標としての訓示的規定ではなく、公安委員会に対して右時限内に必ず許否いずれかの裁決をしなければならない義務を課したものであり、許否いずれかは遅く共この時限を劃して決定されることを宣明した規定というべきである。

(ハ)公安委員会が条例第二条によりなされた許可申請に対してなす裁決処分は、許否いずれの場合でも、いわゆる「相手方の受領を要する行為」であって、このことはその性質に鑑み疑を容れないところである。然らば、これが裁決として関係者に対して拘束力を生ずるには、単に公安委員会で裁決として成立したというだけでは足りず、更に申請人に対しこれを告知することを要するものといわねばならない。従って公安委員会において仮に不許可処分をしたとしても、これを申請人に告知しなければ、申請人に対しては不許可処分としての拘束力は生じないのである。而して条例は二の(2)の(ロ)で説示のように許可処分につきその告知時限を定めて居るのに比し、不許可処分についてはその告知時限を明文で定めていないが、その第三条第四項には不許可の処分をしたときはすみやかに東京都議会に報告しなければならないと定めて居り、条例としては不許可の処分がなされた場合すみやかにこれを処理すべきことを要請していることが推知し得るのみならず、裁決とその告知とは前記説示の如き関係にあり且つ裁決については許否いずれの場合でも前記の如き時限の定があること等に鑑みると、不許可処分についても行動実施前相当の時限内にこれを告知することを要するものと解するのが相当であり、又公安委員会としては、その処分をして実効あらしめる見地からも、すみやかに申請人に告知することを要し放任することは許されないものといわねばならない。而してその時限は許可の場合と区別する根拠を見出し難いから許可につき定められた時限に準拠すべきものである。

(ニ)公安委員会が前記説示の裁決をなすべき相当時限を過ぎても積極的には許否いずれの処分をも示さない場合、同委員会としては明示的には許可処分をしているわけではないが、さればといって不許可処分をしているわけでもない。しかし裁決の時限に関する規定はさきに説明したとおり公安委員会に対して遅く共その時限には必ず許否いずれかの裁決をしなければならない義務を課したものであって、許可申請はこの時限を劃して許否いずれかに決定しなければならないのである。然らば、公安委員会が右の如く裁決時限を過ぎても明示的にその裁決をしない場合には、その不作為ないし沈黙をもって許否いずれかの裁決として解釈することは、時限規定を定めた条例の趣旨に合致するものといわねばならない。

思うに、右の場合、許可が全面的禁止を前提とし、ある特定の場合に限ってその禁止を解除する意味の通例の許可制の下では、黙示の不許可処分がなされたものと解すべき余地が多分に存するけれども、都条例にいわゆる許可は二の(1)で説明したとおり右と異る意味のものであり且つその許否基準は、許可申請のあったときは行動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外は許可しなければならないと定められ、許可が原則であって、公安委員会において特に所定の不許可事由の存在を確認しない限り、許可の要件を具えているものとするのが条例の建前であるから、通例の場合とはその基礎条件が著しく異って居り、同委員会の右不作為ないし沈黙を許否いずれとみるのが相当であるかについては更に検討しなければならない。

右の場合公安委員会が所定の不許可事由の存在を確認しているか否かについてはどうみるべきであろうか。公安委員会にして不許可事由の存在を確認した場合は外部には不許可処分として現われ、それ以外の場合は許可処分として表明されるのである。而して許否いずれの場合でもその裁決が明示的になされることの望ましいことは同様であり、条例でも許可については第三条第二項、不許可については同条第四項でこれを前提とする定をしているが、それはいずれも正常の場合のことであって、ここで問題となっているが如き特種の場合には直ちにこれを基準とすることはできない。そこでこの問題の場合の基準につき許可申請に対する許否が前示の如き基準の下で行われること等考慮に入れた上これを考察するに、許可の場合には、黙示の許可であっても、これは、右の原則に従うものであって、関係者の予期しているところに合致し、これで処分の目的を達成し得るので、黙示的形式にもなじむのに反し、不許可の場合は、右の原則を覆すものであって、関係者に明示しなければこれを了知せしめ難い関係にあるのみならず、その内容は、行動実施の禁止を命ずる処分であるから、その性質上黙示的形式にはなじまないこと、条例は原則的許可主義を建前としているのであるから、関係者が許可申請に対しては許可のあることを信頼して諸般の準備をしていることは当然であり、公安委員会においてもこのことは十分予測し得るところであるから、原則に反して不許可とするときこそ、関係者に対しすみやかにその旨を明確に通達することが事の性質上相当であること等に鑑みると、許可の場合はともかくとして、不許可の場合は常に明示的形式によることが要請されているものと解するのが相当である。然るに公安委員会が右の場合所定時限を過ぎても積極且つ明示的に不許可処分の所為に出ていないということは同委員会としてはその場合右所定の不許可事由が存するとの認定に達していないということを示すものである。而して公安委員会のかかる判定は条例第三条第一項本文にいわゆる「行動の実施が公共の安寧を保持する上に直接危険を及ぼすと明らかに認められる場合の外」であることを確認している趣旨に帰するのである。然らば、公安委員会としてはここに黙示的にではあるが条例第一条にいわゆる許可をしているといわなければならない。又信義誠実の原則は独り私法に限らず公法殊に行政法においてもその適用があると解するを相当とするところ、右結論に同原則の上からも支持されこれを変更すべき根拠は一も見出し難い。

(なお、条例第三条第二項には、公安委員会が前項の許可をしたときは、申請書の一通にその旨を記入し、特別の事由のない限り所定の時間内に主催者又は連絡責任者に交付しなければならない旨の規定が存するが、これは許可のあった後に主催者に対し許可を証する文書の交付を定めたに過ぎないのであって、許可の場合の原則的な告知方法を示すものであり、特に同条第一項但書による条件をつけたときには、いかなる条件がつけられたかを主催者等に明確に認識させ且つ周知徹底させる必要があるというべく、その意味で重要性を有するものといえるにしても、許可の形式を要式行為として定めたものと解すべきものではない)。

而して右の事実は申請人においても告知についての所定時限の徒過すなわち公安委員会よりその時限内に積極的に許否いずれかの処分の告知がないことによってこれを知り得るから、この場合は、更に別段の告知を要するものではない。

然らば、右の如き場合には、告知についての相当時限の経過と共に(前記裁決時限内に不許可処分又は条件付許可処分がなされたのに、特別の事由があってその告知が遅延したとしても、申請人が当該特別事由の存在を了知し得べき状態にいない限り)主催者は許可の申請をした行動について無条件の許可があったものとして行動し得るものといわねばならない。(なお、公安委員会において、右告知時限経過後、不許可処分又は条件付許可処分を告知して来た場合には、条例第三条第三項により許可の取消又は条件の変更として処理すべきものである)。

以上のことは東京都条例には新潟県条例第四条第四項の如く明定されているわけではないけれども、その解釈上ほぼ同様の結果に到達するのである。

同第一の(一)の(ロ)点について。

東京都条例が規定しているようなデモ行進等については法令に別段の定がなく、またこれらの事項が固有の国家事務に属するものとも認められないから、府県等の地方公共団体は地方公共の秩序維持のため必要があるときは、憲法第九十四条、地方自治法第十四条等に基きかかる事項について条例を制定する権限があるものと解する。故に右主張は採用できない。

同第一の(一)の(ハ)点について。

労働組合法第一条第二項が本件の如く国会において審議中の法律案反対のための大衆運動に適用のあるものでないことは同条第一項第二項の規定全体に徴して明らかである。而して本件の如き道路上においての集団行進においてその交通秩序が守られなければならないことは当然であり、且つ一件証拠によると、判示蛇行進においては交通秩序の破られたことも窺知できる(証拠欄中第二の其の一の一の(B)の(2)参照)から右主張は採用できない。

同第一の(二)点について。

判示第一の(二)の各被害者である警察官が写真撮影を行ったのは、判示のとおり、デモ隊が蛇行進中を東京都条例違反と認め、その証拠蒐集のため行ったものであって、犯罪の捜査、被疑者の逮捕及び公安の維持に当ることをもってその責務とする警察の職員たる警察官として当然の職務を行ったものと認むべきである。一件証拠によるも、右の行為が警察官として正常行為より逸脱し、被告人等本件デモ行進参加者の有する集会及び表現の自由に対して不当に干渉し、又はそれらの者を故意に挑発するためのものであったことは、ついに認め得ないところである。従ってその不法なることを前提とする正当防衛の主張はこれを採用できない。

次に本件行進が解散地点である国電巣鴨駅前に近づくに従いデモ隊員の気勢が一段と挙っていたことは一件証拠によって認められるところであるけれども、一件証拠によれば、デモ隊員が右駅前広場に進入後所轄警察署係官より再三に亘り蛇行進中止方の警告放送を行ったことが明らかであり、且つ判示公務執行妨害等の所為は右警告放送にも拘らず蛇行進を行っていたデモ隊員等において警察官に条件違反行為の証跡を保有させまいとする意図の下に行われたものと認めざるを得ないから、期待可能性に関する右主張もこれを採用できない。

同第一の(三)点について。

一件証拠によると、判示会社と判示第一組合との間に、弁護人主張の如きユニオン・ショップ協定が労働組合法第十四条に定むる所定の要件を具えて有効に締結されたことはこれを認めることができない。而して判示第四地区仮門前に判示の如く集った者の全部が弁護人主張の如く第一組合の組合員でないことは判示のとおりであるが、仮に弁護人主張の如しとしても、判示の如き形態で岡地に有形力を行使することは、組合員に対する統制その他いかなる角度からみても、その程度を越えて居り、弁護人の右主張はこの点で失当である。

(法令の適用)

被告人等の判示所為中、判示第一の二の各条件違反集団行進指導の点(当該被告人につきいずれも包括一罪と認める)は昭和二十五年東京都条例第四十四号集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例第五条、罰金等臨時措置法第二条第一項に、判示第一の三の各公務執行妨害の点は刑法第九十五条第一項、第六十条に、判示第一の三並びに第二の各傷害の点は同法第二百四条、第六十条、罰金等臨時措置法第二条第一、二項、第三条第一項第一号に各該当するところ、判示第一の三の(一)の公務執行妨害と傷害、同第一の三の(二)の公務執行妨害と傷害、同第一の三の(三)の公務執行妨害と傷害は、いずれも一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、刑法第五十四条第一項前段、第十条に則り夫々一罪とし、重い傷害罪の刑に従って処断することとし、右各東京都条例違反罪及び各傷害罪につきいずれも所定刑中懲役刑を選択し、なお被告人川井敏正、同鈴木満寿穂、同三谷宏、同岩瀬洋三、同岡野啓の判示各罪はいずれも刑法第四十五条前段の併合罪あるから、同法第四十七条本文、第十条に則り夫々重い判示第一の三の(三)の傷害罪の刑に併合罪の加重をなした上、以上所定ないし加重した刑期範囲内で各被告人を主文第一項記載のとおり量定処断し、刑の執行猶予については刑法第二十五条第一項を適用して主文第二項記載のとおり各被告人に対し右刑の執行を猶予し、訴訟費用の負担については刑事訴訟法第百八十一条第一項本文、第百八十二条を適用し、主文第三項記載のとおり各被告人の負担を定める。

(公訴事実中一部無罪)

被告人安田浩に対する公訴事実中、同被告人が他と共謀の上判示第一の三の(三)の(1)記載の日時場所で中村一善に暴行を加え、以てその公務の執行を妨害し且つ傷害を負わせたとの点について検討すると、

一、右公訴事実に関し検察官より提出された証拠中、被告人安田についてその行動認定の資料となり得るものは、梁野登の検事調書(以下梁野調書と略称)のみである。而して梁野調書で同人が目撃したという暴行被害者は河野典男の検事調書、証人村上晋の公判供述記載等をも斟酌すると中村一善を指すものと認められる。もっとも梁野調書にはその暴行被害者が判示第一の三の(三)の(1)で認定した中村の逃走経路と異り、地蔵通りの方まで逃げた旨読みとれないでもない部分が存するも、これは前掲証拠に対比すると、梁野登の錯誤と認められるから、右認定の妨げにはならない。ところで、梁野登は証人として公判で供述した際は、右検事調書で「被告人安田」として述べている人物につき単に「安田に似た男」だとしているのみであるが、一件証拠によると、梁野登の右検事調書は、同人が事件後極めて近い日判示巣鴨事件の東京都条例第四十四号違反容疑で逮捕されたが、昭和二十八年八月十二日勾留請求が却下されて身柄を釈放された後、その日に作成されたものであること、同人は目撃したというその暴行現場(以下暴行現場と略称)で前記人物を見且つ面と向き合って前記人物の言う所を聞いたものであること、同人は共同印刷労組幹部であり、東京書籍労組書記長の被告人安田をかねて知っており、当日は実行委員として被告人安田と共にデモ隊先頭に立っていた者である上、翌日も巣鴨事件対策会議の席で被告人安田と顔を合わせていること等が認められるので、被告人安田を見誤る様なことはないと思われ、この点に関する右検事調書の記載は措信出来るといわなければならない。此の点について、弁護人等は梁野登は被告人安田と面識が薄いとの点や同人の権威に対する迎合性等の性格を挙げて右検事調書の信憑性を争い、又弁護人申請の証人は、被告人安田が此の公訴事実に言う犯罪の現場には行っていないとの趣旨に帰する供述を為すが、前記心証を覆すに至らない。

二、中村一善に対する判示共同暴行は判示の如き経過で行われたものであって、関係者間に事前にいわゆる共同謀議をやっている余地などない情勢であったことが窺えるから、被告人安田が検察官主張の如く他の暴行者等と共謀の上判示犯行を為したというには、同人等が暴行現場にいたというだけでは足りず、更に右現場における同人等の個別的、具体的行動中に他の暴行者等と互に相呼応し相協力して警察官の公務の執行を妨害する意図の下に、中村に対し暴行を加えようとした意思の発現を認めるに足るものがなければ、これは認められない。ところで、右梁野調書で認め得る被告人安田の言動は、(1)被告人安田が右暴行現場で殴られている男の傍に居たという事実並びに(2)殴られていた男はそのうちに地蔵通りの方向へ逃げ出し、四、五名の者が追いかけて行ったが、二分位すると安田が地蔵通り方角から戻って来て、梁野又は山田より「どうしたのだ」と聞かれたのに対し、「余り深追いしないで適当な所で帰って来た」とか「デカだからやっつけたのだ」と答えたという事実のみである。右の事実のうち被告人安田が(1)の暴行現場で殴っている傍にいたというだけでは殴っていることに共謀があるとはいえない。(2)の事実では被告人安田が殴られていた男の後を追ったことが推測されるので、やや疑の余地はあるが、その追いかけの時期、形態は右四、五人の者と一団になって追ったのか否か不明であり、また追跡先で暴行が行われたのか否か、被告人安田が右発進後どんな行動をとっているのかこれまたいずれも不明である。これ等の事実を斟酌すると、被告人安田において右(2)の発言をしたとしても、その内容は極めて不明確である。然らば右(1)、(2)の事実をもって、被告人安田が他の暴行者等と互に相呼応し相協力して中村巡査部長の公務の執行を妨害する意図の下に同人に対し暴行を加えようとする意思を有していたものと断ずるのはいささか早計と考えられる。他に被告人安田が検察官主張の如く判示事実に共謀して加担していたと認め得る証拠はないから、被告人安田に対する右公訴事実は結局犯罪の証明がないものといわなければならない。

三、よって被告人安田に対する右公訴事実については刑事訴訟法第三百三十六条により主文第四項記載のとおり無罪の言渡を為すこととする。

(裁判長裁判官 八島三郎 裁判官 西村宏一 裁判官 田中永司)

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